90sキッズ〜84世代の回顧録〜

90年代に子供時代を過ごした人のブログ

250万乙女集合 りぼんのふろく展『トミーのくねくね横丁リターンズ!』に行ってきたレポ【前編】

LOVEりぼんFUROKU 250万乙女集合 りぼんのふろく展 トークショー

明治大学・米沢嘉博記念図書館1階展示室で開催中の『LOVE♥りぼん♥FUROKU 250万乙女集合 りぼんのふろく展』のイベント『トミーのくねくね横丁リターンズ!』に行ってきました。

トミーのくねくね横丁リターンズとは?

矢沢あい、小花美穂、藤井みほならの担当者として、90年代の『りぼん』読者なら知らぬ人はない「トミー」こと冨重実也・現『りぼん』編集長をお迎えし、90年代から現在までの『りぼん』の編集、ふろく制作の工程などについてお話しいただきます。 聞き手は、マンガ史研究者の宮本大人氏。

引用:明治大学 米沢嘉博記念図書館イベントページより
http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-furoku.html

矢沢あい先生、小花美穂先生、藤井みほな先生などを担当していた「トミー」と言ったら、90年代りぼんっ子なら記憶にあるかと思います。
そんな冨重編集長の貴重な「りぼん」トーク!自分用の備忘録も兼ねてのレポのためかなり長いです。

メモった事を書きだしたらなんだか想像以上に長くなってしまったので前編後編に別けました。前編は、編集長とりぼんの漫画家の先生たちについてのお話。

「トミー」こと冨重編集長「りぼん」に配属

イベントの冒頭はまずは現りぼん編集長である、冨重実也さんご本人についてのお話から。りぼんに配属されるまでについて。

冨重編集長は大学では司法試験研究サークルだったり、元々報道系か新聞社志望だったりで、漫画の編集にめちゃくちゃ興味があった!とかでは無かったそうです。就活中になんとなく集英社を受けたら内定が決まったんだとか。(入社試験の作文でエロ話を書いたらしい。)
そして、面接では週プレ希望等と言ったりしていたけど、まさかまさかのりぼん配属!

本当は女の子が入る予定だったけど、編集部は男性希望だったらしくそれで冨重さんが選ばれたんだそうです。

漫画家さんの担当は「ピースなやつら」(93〜94連載)の大塚由美さんが初担当で、初の新連載立ち上げは95年の「シュガーなお年頃(こちらも大塚由美さん)」だったそうです。そしてその後小花美穂先生の「こどものおもちゃ」〜「パートナー」、あとは矢沢あい先生のご近所物語ですね。

りぼんに来てまもない時は、岡田あーみんやさくらももこ以外全部同じ絵に見えてしまったり(一週間もしたら見分けがつくようになったそうですが)、担当編集者が書いている「前回のあらすじ」や「キャラ紹介」を初めて書いた時も「人生で使うハートの量を3日で消費した」と言うくらいとりあえずハートを多用してみたそうです。

LOVEりぼんFUROKU 250万乙女集合 りぼんのふろく展 トークショー
2003年りぼん3月号/吉住渉先生『ウルトラマニアック』より

「こんにちは!◯◯です。」と主人公の問いかけからはじまるこの冒頭部分、子供の頃はまさか男の人が書いているとは思わなかったな。というか漫画家の先生が全部書いているんだと思っていました。

20代前半だったトミーさんは、イタコのごとく少女が乗り移ったかのようにこれを書いていたそうです。
全く知らない世界だからこそ、逆に良かったのかもしれないとも言っていました。

担当トミーと大御所の先生方

りぼんに配属されるまでのお話の後は、当時の先生方達とのお話。

矢沢あい先生と担当トミー

「りぼん編集部のトミー」と言って真っ先に思い浮かぶのは私はやはり矢沢あい先生で、ご近所物語のオマケページや本編に「担当のトミー」として良く登場していたな〜という印章が強いです。
※矢沢あい先生のことはご近所物語から担当したそうです(※天使なんかじゃないの時に担当者が肝炎で入院した時に一度だけ天ないを担当)

ご近所物語はアニメ化されていますが、このアニメ化は最初から決まっていた話だったんだとか。やっぱり少女漫画のアニメ化って連載企画時点でもう決まっていたりするものなのですかね?そうじゃないのもあるかもだけど、そういう話良く聞く気がする。

ご近所担当話の中で、矢沢先生は作画にMacを取り入れた走りだったとか、つけペンじゃなくてロットリングで描いていたという作画関連についても触れていました。

原稿描く時の使用画材についてはご近所物語のイラスト集にも載っています。ロットリングっていう言葉をはじめてこれで覚えた気がする。

りぼんのふろく展 トークショー 矢沢あい先生使用画材
矢沢あい先生『ご近所物語イラスト集』より

私も、矢沢先生のあの写真を貼り込んだ背景やデジタルなカラーイラストにとても衝撃を受けたりぼんっこの1人です。一体これはどうやって描いているんだろう?と不思議で仕方なかったな。

線画細いし枠線の引き方も独特だし、ご近所って漫画なのに一冊のおしゃれなイラスト集みたいな、そんなイメージ。

それはそうと、矢沢先生が原稿をロットリングで描いているという事を知った当時りぼん漫画家を目指していた私は「つけペンじゃなくても漫画って描いていいんだ…!!」と超歓喜した思い出です(つけペンてひっかかって描きにくかったから)

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それはそうと、冨重さんも聞き手の宮本さんも言っていたけど、矢沢あい先生のフォロワーって出てきていないですね。不思議。誰かしらいそうなのに。

ビッグネームの先生もプロとして扱ってくれる

冨重さんが編集者若手の頃、大御所の先生達はみんなどんな相手でもプロの編集者として扱ってくれたと話してくれました。そしてビッグネームの先生ほどネーム直しもとてもきっちりだったとか。

それから編集者が男だという事について漫画家さん側からは、女性の編集者だと「なんで分かってくれないの?」となってしまうけど男性だと「男だから仕方ない」と思うから逆にやりやすかったと言われたそうです。

以前行った、 トークイベント『昭和生まれのガーリー女子会』でのライター朝井麻由美さんが話していた小花美穂先生の取材でのエピソードのお話もそうでしたが、大御所りぼん漫画家先生達はみんな素敵な人というか良い話しか聞かなくて、りぼんっ子としてはそういうのもまたすごく嬉しかったり。自分が大好きだった漫画を描いている先生達がイメージ通り素敵な人ばかりで。

りぼんに載せられるギリギリの表現

矢沢あい先生の話の時に、誌面に載せられる漫画の内容について触れていました。
とりえずそのまま強行して載せたけど編集長に「テレビのCMで流せないような内容をりぼんに載せられるわけがないだろ!」と言われ差し替えになったこともあったそう。

過激な表現・内容というと、小花美穂先生のこどちゃとかパートナーは考えてみると結構センセーショナルな内容だったり(こどちゃは漫画の雰囲気からそれを忘れてしまいがちだけど)していましたよね。
子供的には表現方法がグロテスクだったりしない限り、そのダークな部分は特に気にならないし自然に流れていっていたような感覚でしたが。

あと過激な表現で思い出したのは、中学生になって久しぶりにりぼんを読んだ時に連載していた、あゆかわ華先生の「やっぱ愛でしょう!」という作品のことです。

やっぱ愛でしょう! 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

やっぱ愛でしょう! 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

 

これ、りぼんにはちょっと過激(エロ的な意味で)なのでは?という感じの話でして、りぼんがエロ漫画になってるー!と友達と衝撃を受けたわけです。ひどい性表現があったわけではないけど、明らかに今までのりぼんとは違う感じだったんです。

「しゅうちゃん!愛はパワーだよ(キラキラ)」みたいなのはどこいたん…?!てなった。
りぼんもこうやって変わってくんだな〜と中学生ながらに思ったのでした。

こういう、(子供向けとして)ギリギリの内容でOKとNGの線引はどうやって決めていくんだろう。トークイベントの質問コーナーで聞いてみればよかったな〜。

くねくね横丁の誌面作り

今回のイベント名にもなっている「トミーのくねくね横丁」がスタートしたのは、94年9月号(告知・募集ページなので本格的スタートは10月号)。全サの食いしん坊バックの頃ですね!トーク中モニターに写し出されたりぼんの表紙に食いしん坊バックが写っていました。

LOVEりぼんFUROKU 250万乙女集合 りぼんのふろく展

トークイベントは撮影可だったのですが、スマホロッカーに入れちゃってしょぼいカメラで撮ったので画質が酷いしなんだか良くわかりませんね…。映し出されているりぼんが、くねくね横丁がスタートした号のようです。
因みに、右がりぼん編集長冨重さん。左が聞き手のマンガ史研究者・宮本大人さん。このお二人の話本当面白かった。

ラジオ番組みたいな構成

冨重さんは小学校の頃から深夜ラジオが大好きだったらしく、そういった構成・ノリでくねくね横丁の紙面を作っていたのでとても楽しくできたのだそうです。
深夜ラジオ大好き人間として、もう深夜ラジオ好きっていう時点で面白いに決まってるじゃん…!て思ってしまいますね。

読み物ページは漫画のオマケのようなものだったけど、中の人たちの空気が伝わってくる読み物ページって大好きな存在でした。

そういえばくねくね横丁の前にやっていた、さくらももこ先生との「みーやんのとんでもケチャップ」についても少し触れていて、書いている内容がもはやりぼん読者層向けじゃなかったよねと。みーやんの完全に趣味に走ったレコードが紹介されていたり…。とんでもケチャップの良い意味での狂気ぶりは『昭和生まれのガーリー女子会』で聞いた話も面白かったな。とんでもケチャップ世代ではなかったけど、当時からりぼんのこういうページが面白かったのがわかりますね。

りぼんのこういうノリ、ほんと大好きです。他誌にもこういうコーナーあったんだろか。

くねくね横丁のゲスト

読み物コーナーが全然りぼん読者層向けの内容じゃないという笑い話の中で、くね横のゲストの話になりました。
第一回目のゲストが関口宏、第2回目が嘉門達夫で、それを見た編集長に「誰が読者なのか考えろ!」と言われそれからちょっとづつ読者層よりにしていったそうです。

読者層よりになっていったくね横ですが、最終回で最後だから…とトミー氏はすぐに大川興業に電話をし、そしてキャスティングしたのが江頭2:50とコンタキンテのコンビ「男同士」という暴走(?)なチョイス!

この最終回のエガちゃんのインタビュー、60分のうち使えたのがたった5分だったとか。

嘉門達夫はギリギリ良いかもだけど、確かにさすがに関口宏とかエガちゃんがゲストで載ってても小学生の頃だったらあんまり嬉しくないですね^p^寧ろ今くね横を改めて読みたい!当時と違った楽しみ方ができそう。

アナログ作業の誌面作り

くね横のページ作りは完全にアナログ作業で、田辺真由美先生が描いた色んな表情のイラストストックを縮小して切り貼りしていたそうです。
今聞くとエー!って思うけど、当時だったら当たり前というか自然なことだよね。小学校の頃の学級新聞もイラストを切り貼りしたり文字を貼り込んだりして作ったよなぁなんて事を思い出しました。

くねくね横丁のコーナー

くね横のコーナー「今月の探偵」は途中から人生相談になっていったり、コーナー名は探偵ナイトスクープに影響されてつけたとか、そういうお話しも聞けました。
くねくね横丁というタイトルも、関西のローカル番組「夜はクネクネ」というお散歩番組からイメージしたとのことです。

余談で、現在もりぼんで連載中のアニマル横町作者の前川涼先生も、くねくね横丁にハガキを出していたことがあるそうです。そして最初は王道恋愛漫画を描いていたのを、ギャグ漫画家に転向させたのもトミーさんだったんだとか。

Twitterでもご本人が触れていますね。

 

以上、りぼん編集長トークイベント『くねくね横丁リターンズ!』レポ前編でした。

後編は、りぼんの付録の変異と競合他誌とのお話をまとめました。こっちがとにかく長くなってしまいました。付録が大好きなので色々知りたかった事や聞いてみたかったお話がほぼ全部知ることができた感じです。

後編はこちら↓

www.okappanote.net